[2009年7月30日掲載]
OKIネットワーカーズのメンバーは10名を超え、ホームページ制作をはじめとするソフトウェア関連の仕事を着実にこなし、その確かな技術力は、OKIグループ内で認められるまでになった。また、重度障害者の在宅雇用は、日本におけるテレワークの研究・実践としても高く評価され、2001年には社団法人日本テレワーク協会が主催するテレワーク推進賞において、優秀賞を受賞した。
しかし、実情は生易しいものではなかった。OKIネットワーカーズのB氏は、当時をこう振り返る。
「メンバーそれぞれに、苦労はあったと思うのですが、皆が共通して苦労させられたことといえば、それはパソコンの通信環境ではなかったかと思います。もっとも当時はそれが当たり前だったので、苦労とは感じなかったかもしれませんが、今と比べると雲泥の差です」
Bは話を続ける。
「表に掲げたパソコンのスペックを見てください。1998年の当時としては、まあまあのスペックでしたが、画像の処理とかファイルのやり取りとなると不便がありました」
インターネットが未成熟だったこともあり、それに起因する問題が、在宅勤務の環境に立ちはだかっていたのである。持ち上がる問題をひとつひとつ乗り越えていく。それはまさに試行錯誤であった。
とにかくファイルの送受信に時間がかかり、サイズの大きなものは分割が必要でした。ファイルの送信に時間がかかり過ぎて、これでは納期に間に合わないということで、津田さんと新宿駅で待ち合わせて、CD‐Rにデータを焼いて持って行ったこともありました」
仕様 | 1998年当時 | 2009年現在 |
---|---|---|
CPU | インテル® Pentium®(MMX対応 200MHz) | インテル® Core™ 2 Duoプロセッサ E4500(2.20GHz) |
メモリ | 64MB | 1GB |
ビデオ | ATI 3D RAGE 2(2MB) | オンボード |
HDD | 4.2GB | 80GB |
通信環境 | 内蔵FAXモデム 33.6kbps対応 | 外付け ADSL12Mbps対応 |
OS | Windows® 95 | Windows® XP |
作業はコンスタントにあったのだろうか。
「作業量は本当に不安定でした。作業依頼のメールがしばらく来ないと、もう仕事がないのではないかと、無性に不安になった記憶があります」
それでも、しばらくすると、仕事の量が平準化を始めた。「在宅勤務者が複数名いれば、いろんな仕事を恒常的に集められるのではないか……」という木村の期待が、現実のものとなったのである。仕事の受注量は、面白いように増加した。Bと同期入社のC氏は、こう話す。
「仕事が増えたのはいいのですが、人数が少ないので納期に間に合わない。土日返上で、丸くなって作業したこともありました」
OKIネットワーカーズもその人数を増やす必要が出てきた。しかし、そうなると津田が一人でコーディネートしていたのでは間に合わない。そこで、新たにもう一人、コーディネーターを採用しようということになった。
ソフト開発におけるプロジェクト・マネジメントの経験があること。そして何より、障害者に対する深い理解があること。この条件で、東京都福祉人材センターなどを介してコーディネーターの募集をかけたところ、一人の女性が応募してきた。それが竹田純子であった。
竹田には、金融系のシステム会社でシステムエンジニアをしていた経験がある。しかも“社会福祉士”の国家資格まで持っている。“社会福祉士”とは、身体障害などで日常生活に支障がある人に助言や指導などを行う、福祉の専門家である。これほどの適任者はなかった。
OKIネットワーカーズのコーディネーターとなった竹田は、その後も自身のスキルアップに努め、“情報セキュリティアドミニストレータ”や“介護支援専門員(ケアマネージャー)”といった資格も取得した。
そんな竹田について、木村はこう語る。
「仕事も勉強も人の倍以上のことをやる。ボランティアも実践している。昼休みになると、知的障害を持つ通勤社員の話し相手になってくれる。私が『昼休みぐらい、ゆっくり食事をしたいだろう。席に来ないように言ってあげようか』と言っても、『だいじょうぶです』と姿勢を変えない。わが社にはドンピシャリの人材です」
ベストなコーディネーターを得て、OKIネットワーカーズはさらに発展していく。そして、マスコミの注目も浴びるようになる。ビジネス誌「フォーブス日本版」、転職雑誌「とらばーゆ」「ビーイング」、また日経BPソフトプレス発行の書籍「アクセシブルテクノロジ‐ITと障害者が変えるビジネスシーン」などで、OKIネットワーカーズの働き方が大きく採り上げられた。
その頃、世の中では、CSR(企業の社会的責任)ということが盛んに言われるようになっていた。障害者法定雇用率を達成することは、まさしくCSRで定義されているコンプライアンス(法令遵守)の精神に通じる。しかし、OKIは障害者法定雇用率を、もうちょっとのところで達成できていない。木村は、〈これだ〉と思った。OKIネットワーカーズの人数をさらに増やせば、OKIは1.8%の障害者法定雇用率を簡単に達成できる。そしてこれは、“重度障害者在宅雇用制度の提案書”の中で力説したことでもあった。
木村は早速、OKIの人事部を訪ねた。
「そのための体制として、特例子会社を作りたいんです」
「なるほど、特例子会社ですか」
いくつものアンテナを方々に向け、これだと信じた情報をためらうことなく取り入れていく。たとえ前例がないことでも、とにかくチャレンジしてみる。木村には常にその勢いがあった。
さあ、特例子会社を作ろう。まずは、どうすればよいか。まずは、専門家にアドバイスを受けるのが一番と思われる。木村は東京・港区のハローワークを訪ねた。
特例子会社にするためには、条件として5名の障害者がいなければならない。その時、OKIと関連会社には13名の在宅勤務者がいた。
「13名いますから、すぐに作れますね」
ところが意外なことに、窓口の担当は肯いてはくれなかった。
「いや、新たに5名を雇用しないと、特例子会社にならないんです」
木村は異を唱えた。
「新たに?そんなこと、すぐにはできない。準備期間がないと……」
しかし、そうは言ったものの、考えてみれば、障害者法定雇用率1.8%をクリアしようというのが、特例子会社を作るそもそもの目的なのだ。ここで立ち止まってはいられない。
「分かりました。すぐに5名を雇います」
職場に戻った木村は、OKIグループ各社のOKIネットワーカーズに、全員を新会社へ集結する旨を伝えた。さらに、数ヶ月をかけて新たなメンバーも雇用した。必要な準備はすべて整った。木村は、満を持して会社設立のための手続きに臨むのだった。
こうして2004年4月1日、株式会社沖ワークウェルが設立されたのである。翌月にはOKIの特例子会社としての認定も受けた。OKIネットワーカーズの誕生から、6年という歳月が経っていた。
OKIワークウェルで活躍するOKIネットワーカーズのメンバーを物語でご紹介します。