職場がおうちへやってきた

職場がおうちへやってきた 第7回 - OKIネットワーカーズ誕生秘話

[2009年7月16日掲載]

提案、そして実現

複数の重度障害者の在宅雇用。この新しい取り組みを本格的に行うには、まず、会社のトップへの提言から始めなくてはならない。しかし、雇用は企業にとって、最重要事項の1つである。ましてや、OKIではもちろん、日本でも前例のない革新的な取り組みになる。どのような形で提言を行うべきか。会社の制度を動かそうというのだから、慎重さも必要になる。

木村と津田は、ある1つのアイディアで意識を合わせた。OKIには、“社内ベンチャービジネス提案制度”というものがある。それを利用しようと。本来は、有望な新しいビジネスを社員が提案する場である。重度障害者の在宅雇用は、それだけを取り上げれば、ビジネスとしてのメリットはないかも知れない。しかし、重度障害者を雇用することによって、障害者法定雇用率に貢献できるばかりか、社内のユニバーサルデザインに、当事者の意見を取り入れることができる。結果として、OKIのビジネスに貢献できるのではないか。2人はそう考えたのである。

方針が定まった。締め切りは間近に迫っていたが、時を移すつもりは毛頭なかった。木村と津田は、大急ぎで、“重度障害者在宅雇用制度の提案書”の作成に取りかかるのだった。

「インターネットが普及した現在、通勤のできない重度障害者でも、情報処理の技術があれば在宅で仕事ができる」とした上で、重度障害者の在宅雇用について、以下のような効果を強調した。

  • ITネットワークを活用したOKIらしい社会貢献であること。
  • 障害者法定雇用率の達成。
  • ユニバーサルデザインに障害者自身が提言や参画することにより、それがOKI製品やコミュニティビジネスに活かされること。

意義や効果については、ありのまままの思いをまとめればよかったので、提案書を作ること自体に苦労はなかった。しかしながら、果たして仕事の依頼は来るのであろうか。希望する納期や品質で仕事ができるのだろうか。重い障害のある人が、毎日仕事をすることで身体に負担がかかりはしないか。実行面から見ると不安は尽きなかった。なにせ、日本では前例のない試みなのだ。

1998年1月。木村と津田は祈るような思いで、“重度障害者在宅雇用制度の提案書”の提出を行った。

ほどなくして、提案書は所管部門の審査を通った。木村は、澤村紫光社長(当時)をはじめとする役員の出席のもと、プレゼンテーションに臨むことになった。木村は、“重度障害者在宅雇用制度の提案書”を手にしながら、誠心誠意の熱弁をふるうのだった。

役員たちは、時折うなずきながら耳を傾けてくれた。印象としては好意的だった。ただ、やはりどこかに「海のものとも山のものともつかぬ」といった雰囲気も感じられた。

万が一失敗でもすれば、会社が非難を浴びることになる。そんな慎重論も出る中で、木村の説明を聞いていた専務が口を開いた。

「チャレンジさせてみませんか」

この人物こそ、のちにOKIの代表取締役社長となる、篠塚勝正専務(当時)であった。篠塚専務のその一言で、“重度障害者在宅雇用制度の提案書”は満場一致で採択されることとなったのである。

幸いなことに、当時は、障害者への理解を得やすい時期でもあった。長野でパラリンピックが開催されている最中で、障害者が活躍するニュースや映像が連日流れていたのである。これも追い風となって、障害者の在宅雇用は社会的に必要な取り組みである、との判断がなされたのだろう。

こうして1998年4月、重度障害者在宅雇用が、OKIのベンチャービジネスとして始動した。長い歴史を持つOKIにとっても、それは変革と呼べるほどの新しい一歩だった。

木村は早速、社会福祉法人東京コロニーの小川青年に連絡を入れた。それは入社の打診でもあった。重度障害者の在宅雇用実現という快挙に、小川も喜びの声を上げた。しかし小川は、同時に不安も覚えるのだった。下請けではなく、勤務の中での仕事になる。責任も出てくる。重度の身体障害を抱えた自分に、それをこなすことができるのだろうか。けれども、バイタリティと優しさに満ち溢れた木村のもとでなら、きちんとやっていけるかもしれない。小川はOKIへの入社を決意する。

木村には、ほかにもう2人の期待する人材があった。OKI社会貢献推進室主催のボランティア講座で講師を務め、好評を博した樗木(ちしゃき)次男。東京コロニーのOBで作るONE・STEP企画で、その才能を発揮していた中島徹治。東京コロニー・職能開発室の堀込課長の紹介によって、木村が心に留めていた若き精鋭であった。

小川、樗木、中島。OKIはこの3名を、初の在宅勤務社員として温かく迎え入れた。重度障害者在宅雇用制度の施行から2ヶ月後、6月中旬のことである。木村は彼らに“OKIネットワーカーズ”という呼称を与え、社内外に向けて、その存在のアピールに努めるのだった。

このOKIネットワーカーズが、どのくらいの実力で、どのぐらいの仕事ぶりを見せてくれるのか。OKIとしては、大きな期待を寄せながらも、その様子を静かに見守るといったところであった。しかし、仕事への真摯な取り組み、またその確かな成果物をもって、小川ら3人の評判はにわかに広がるものとなった。

さらに、その評判はマスコミにも響きわたり、小川を追ったドキュメンタリー番組がいくつも作られた。殊に、NHK教育テレビで放送された“共に生きる明日~障害者在宅就労の挑戦~”は、全国で大きな反響を呼んだ。重度障害者の在宅雇用の先駆けとなった企業として、OKIが高く評価されたのは言うまでもない。

構想から2年、紆余曲折を経て誕生したOKIネットワーカーズ。生みの親である木村、そして津田。2人それぞれに、深い感慨があったに違いない。

その後、この重度障害者在宅雇用制度は、OKIグループの数社が採用するところとなる。これに伴って、OKIネットワーカーズは、そのメンバーを続々と増やしていくのである。

<次回(2009年7月30日発行)につづく>

サクセスストーリー

OKIワークウェルで活躍するOKIネットワーカーズのメンバーを物語でご紹介します。

  • 道は開かれる
    確かな仕事ぶりで信頼される、北川亮太。(ウェルドニッヒ・ホフマン病)
  • 謹厳実直
    OKIネットワーカーズ最年長、本田伸一。(脳卒中の後遺症)

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