職場がおうちへやってきた

職場がおうちへやってきた 第6回 - サクセスストーリー

[2009年7月1日掲載]

今回のサクセスストーリー

大黒柱として

下山の似顔絵

下山利博(しもやま・としひろ)は、OKIネットワーカーズきってのムードメーカーである。年に2回催される社員懇親会では、決まって司会を担当する。底抜けの明るさと、ユーモアのセンスにあふれた話術。ひとつの才能である。その快活で楽しげな雰囲気からは、利博が、首から下の感覚を失っていることなど、微塵も感じられない。

1998年6月6日、その事故は起きた。いつものように信号待ちをしていた利博の車に、余所見をしていた車がノーブレーキで追突したのである。その衝撃で、利博は頸髄を損傷してしまう。

目を覚ますと、そこは見慣れない病室だった。妻が不安げに顔を覗き込んでいた。そして看護師の呼びかけで、利博は愕然とする。感覚がない。感覚だけではない。全身が動かないのだ!

〈いったい何が起こったんだ。どうなっているんだ……〉

利博はセキュリティ機器を扱う会社で、技術者として活躍していた。腰が低く、そのさわやかな振る舞いは、誰からも親しまれるものだった。夢中になるほど、毎日をまっすぐに生きてきた。そんな利博にとって、その事故は、まさに青天の霹靂だった。

利博は悔しかった。今まで自然にできていたことが、何一つできなくなってしまった。身体のバランスすら取れないのである。「自分のせいで、こうなったわけじゃない」という思いも、悔しさに拍車をかけるのだった。

利博はもはや輝きを失った星だった。現実に押しつぶされそうになる、そんな重々しい日々が、一年半も続くことになる。

そんな中でも、リハビリは続けられた。ともすれば、投げやりな気持ちが起きてしまう利博だったが、それでも、決められたプログラムをおろそかにするようなことはなかった。

その背景には家族の存在があった。利博には3人の子供がおり、事故にあった時、末の子はまだ生後9ヶ月だった。自分は一家の大黒柱なのだ。家族を支える義務がある。その大きな責任感だけは消えなかったのである。そんな夫を、妻は全力で支えるのだった。

ある日、利博は気づいた。車いすで過ごしている時間が、昨日より10分ほど延びている。一昨日からは15分も増えている。少しずつではあるが、確実にリハビリの成果が現れてきているのだ。利博は、できることが一つ増えるごとに、喜びを感じるようになった。そして、こんな思いに至った。

〈こういう自分だからこそ、できることがあるかもしれない〉

退院後、利博は考えに考えた。この状況で自分にできることはないか。そんな時、入院中に知り合った友人から、在宅で受けられる重度障害者向けのパソコン講座の話を聞いた。社会福祉法人東京コロニーの“IT技術者在宅養成講座”のことである。この情報は、利博にとって一筋の光となった。

〈仕事ができるかも! 家族を支えることができるかも!〉

不思議に不安はなかった。不安よりも「できるかも」という希望が大きく膨らんだのである。利博は迷うことなく受講を決めた。講習を受ける中で、利博は確信する。パソコンが就職のための武器になる、と。

利博は講習のすべてをマスターし、ほどなく、沖ソフトウェア株式会社に採用された。努力が実を結び、OKIネットワーカーズとしての活躍を期待されたのである。利博はそれに応え、在宅での仕事をいきいきと続けた。

OKIネットワーカーズは2004年、OKIワークウェルに集結された。利博は、さらなる新しい活動に取り組むことになった。講演活動である。OKIワークウェルでは、社員の社会貢献活動を奨励している。ボランティアなどを行う場合、そのための休みは、有給休暇として認められるのだ。

下山の講演活動の写真

車いすで外出すると、いろいろな場面で不都合につきあたる。車いすの車輪が犬の糞を踏んで、それが手についてしまったことがある。その時はショックだった。車いすの利用者が何に困っているか、どんなことをありがたく思うのか。そういった話で、障害者への理解やノーマライゼーションを喚起できるのではないか。利博は、子供や一般向けの講演に飛び回っている。

「優しい気持ちを実行できる、勇気ある人になってほしい」……明るくユーモアにあふれた話しぶりは、すこぶる好評である。

利博は、明るくありつづける、その秘訣をこう話す。

「笑顔でいることです。できないことはできません。でも、できることがあれば挑戦したい。それができれば嬉しい。それで周りが喜んでくれると余計に嬉しい。笑顔は笑顔を生みます。笑顔スパイラルです」

入院中、頭痛や首の痛みや薬の副作用に苦しんだ。しかし、努めて笑顔でふるまうことで、苦しみに耐える力がついたという。

「仕事をする時も、提出したものがお客様に喜んでもらえる、その笑顔を想像するだけで張り合いが出てきます」

さわやかな笑顔が印象的である。

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プラスアルファの挑戦

井澤の自画像似顔絵

「120%の仕上がりを目指す」

そんなポリシーで、仕事に臨んでいる男がいる。OKIネットワーカーズのメンバー、井澤崇(いざわ・たかし)。静岡県伊東市の自宅オフィスで、任された業務を黙々とこなしている。

崇は、筋ジストロフィーを患っている。全身の筋肉が萎縮していく遺伝性の病気である。外出時は車いすを使う。週末などは、一人で電車に乗り、どこにでも出かけていく。

崇は、社内において貴重な存在である。ただ一人、似顔絵が描けるのだ。手指の自由がきくので、通常のマウスやタブレットを使って器用に描写をする。この特技が、会社の主要事業の一つ、名刺作成に活かされている。手がけた似顔絵は優に百を超え、社内は元より、社外からも高い評価を得ている。

幼い頃の崇は、やんちゃだった。学校や町内には遊び仲間がたくさんいた。夏になると毎日のように市民プールに通い、真っ黒に日焼けしていた。

しかし小学2年生の頃から、病気の兆候が徐々に現れた。「歩き方が、ちょっと変じゃない?」最初に気づいたのは崇の母親であった。訳の分からないうちに症状が進んでいく。走ることができない、歩くのが辛い、椅子から立ち上がれない……。

歩くことが困難という状況ではあったが、崇は小・中・高を一貫して普通校へ通った。しかし、進行していく障害は、周りの生徒との間に大きな壁を作り、次第に一人でいる時間が長くなった。

高校も卒業間近になる頃には、歩くのがずいぶん大変になっていた。広い校舎を移動するのには時間がかかり、途中で中庭を眺めているようなことがよくあった。そんな時に、決まって声をかけてくる人物がいた。

「なにやっとるねん」

いつもちょっと困り顔をしながら、優しい大阪弁を話す英語の先生である。崇は、ばつの悪さから、初めは殻に閉じこもっていた。それでも次第に、その先生に親しみを持つようになった。

「大学の通信教育を受けてみないか」

ある時、そんな話になった。自分の障害を憂い、ただ何となく日々を過ごしていた崇。しかし、どこかに焦りもあった。先生はそこを見抜いていたのだ。

その言葉に動かされた崇は、高校を卒業すると大学の通信教育部に入学した。通信教育は己とのたたかいの世界である。やる気にならなければ続かない。自分から追い求めていく意欲というものが、嫌というほど必要になる。その環境に鍛えられ、崇はすっかり前向きになった。

大室山とさくらの里の桜の写真

さまざまなことにチャレンジを試みては、一歩一歩前進する。殊に、自動車運転免許が取れたことは大きな自信となった。そういった自信が、崇をさらに飛躍させることになる。

大学の卒業を控えて、今度は就職に希望を持った。障害のある身としては、そう簡単にいくものではないだろう。しかも、何の資格も技術もない。崇は考えに考え、職業訓練を受ける決意をする。

崇は伊東を離れ、埼玉県所沢市にある国立職業リハビリテーションセンターの訓練生となった。就職に必要な知識や技能を学ぶことのできる、厚生労働省管轄の訓練機関である。さまざまな訓練コースがある中で、適性検査を経て、崇はインテリアデザイン科を専攻した。高齢者や障害者の住みやすい住環境を提案する“福祉住環境コーディネーター”の資格も取った。

ところが、就職相談を重ねていくうちに、一抹の不安が生じた。通勤となると、体力的に続けられるかどうか。自分は進行性の病気だ。今まで一人でできていたものが、ある日突然できなくなってしまう。そうなる可能性が大きいのである。前向きにはなったが、障害を乗り越えた訳ではなかった。

くじけそうになっていた崇に、ある日、大きなチャンスが到来する。何と、在宅勤務の求人が一件、見つかったのである。株式会社沖ヒューマンネットワーク。人材サービスなどを展開する、OKIのグループ会社である。そこでも、OKIネットワーカーズの採用を始めていたのだ。何というグッドタイミングであろうか。

その会社には2年間在籍した。その中で初級シスアドの資格を得るなど、IT技術の研鑽も積んだ。その後、OKIワークウェルの創立でOKIネットワーカーズが結集され、崇も同社に移籍した。

井澤の写真

崇は、楽しみながら仕事を続けている。自分のデザインセンスを活かせるのが、何よりもうれしい。だから、ますます意欲的になる。

「自分のスキル以上のものを出し切らないと、自分の成長はないと思っています。相手の期待している以上のものを作りたいですね」

次の目標は、“自分のデザインと、FLASHを融合させたスキル”。崇のチャレンジは、とどまるところを知らない。

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