[2009年6月16日掲載]
木村はふと、東京コロニーの存在を思い出した。社会福祉法人東京コロニー、通称トーコロ。授産施設、福祉工場などの運営を通して、障害者の教育や雇用、就労を支援する団体である。
OKI社内向けの社会貢献活動啓発ポスターに、東京コロニーの“障害者アートバンク(現アートビリティ)”の絵を使ったことがあった。アートビリティとは、障害者アーティストの作品を有料で貸し出し、版権使用料をアーティスト本人に支払うというシステムである。
その東京コロニーに“トーコロ情報処理センター職能開発室”というセクションがある。東京都の委託で“IT技術者在宅養成講座”を実施し、また企業に対しての障害者雇用の働きかけも行う。障害者が在宅就労を目指すチャンスを提供しているのだ。
そこに行けば、人材が見つかるかもしれない。そう思っていたある日、木村は東京コロニーのHさんと話す機会を得た。Hさんは職能開発室の課長で、“IT技術者在宅養成講座”の講師でもある。その時、Hさんは木村に、こんなことを訴えた。
「情報処理技術者の試験に合格するほどの技術を身につけても、在宅で雇用してくれるような企業がない。重度の障害を持っていても、働きたいと思っている方は大勢いるんですが……」
それは、OKIで在宅雇用をしてほしいという依頼でもあった。木村は、迷っていた次の一歩を踏み出せるような予感がした。しかし、自分は人事の人間ではないから、そういう人をただちに採用することはできない。
「Hさん、どうでしょう。まずは、どのくらいの仕事ができるのか、見させてください」
Hさんは早速、講座修了者から一人の有能な青年を紹介した。その青年こそ、のちにOKIネットワーカーズ第1号となる、A氏であった。頚髄損傷による重い四肢体幹機能障害を持ち、口にくわえた菜箸でパソコンを操作するという。
〈そんな状態で、仕事ができるのかな……〉
木村は半信半疑だったが、仕事を発注してみることにした。
〈とはいっても、さて何を出そう〉
OKIで、すぐに用意できるソフトウェアの仕事はないか。あれこれと考えを巡らせているうちに、木村はある一つの案件を思い出した。
〈MMK端末の画面をデザインしてもらおう〉
当時、OKIの製品に“MMK端末”というものがあった。MMKとは「マルチメディア・キオスク」の略語。電子商取引の機能を備えた、街頭設置型の決済端末機である。そのMMK端末で、通信販売のサービスを行う会社が立ち上がった。株式会社四次元ポートである。OKIが出資に参加していることもあって、木村は、授産施設などで障害者が作ったものを販売してはどうかと考えた。そのアイディアが通って、販売のための資金を、OKIが社会貢献として提供することになっていたのである。
まずは、販売用のディスプレイ画面が要る。そのコンテンツのデザインを、A青年にやってもらおうと考えたのである。
木村の提案は、ほどなく実践されることになった。発注から作業のやりとりは、木村の趣意に賛同した四次元ポートのサイドで行われた。ただ、作業の進め方についてはAに一任され、作業時間の配分や体調などの自己管理も要求された。
この仕事は、予想以上にうまくいった。レイアウトや色使いが心地よい。木村にも、四次元ポートの担当者にも満足のいく出来栄えだった。その仕事を振り返って、Aはこう語っている。
「プレッシャーで、実は、かなり切羽詰まっていました」
MMK端末のコンテンツには、ホームページと同じHTML言語が使われる。Aにとって、HTMLの作成は初めての経験だったのである。彼がIT技術者在宅養成講座で学んだのは、BASICとC言語のプログラミング。当時はパソコン通信の時代。HTMLは学習カリキュラムに入っていなかったのである。
しかも、作業をすべて一人でこなさなければならない。作成するページは優に40を超え、納期までに間に合うかどうかという不安の中での仕事だった。納期間近になると、徹夜になる日もあった。しかしAは、その仕事を完遂させてしまう。
「本当に大変でした。でも、楽しさもありましたし、やり遂げられたという達成感も大きかった。ベッドの上で、何もできずに一生を終えるものと思っていたのですが、世の中に、ほんのちょっとでも小さな足跡を残せたような、そんな気持ちでした」
〈それじゃあ、次はOKI社会貢献推進室のホームページを作ってもらおう〉
その仕事については、木村は依頼主として、Aと直接関わることにした。木村がメールやファクシミリで指示を出し、それにAが応えるという形で作業が進められた。当時の木村は、メールソフトがやっと使えるような状態だった。この仕事は、木村自身にとっても有意義なものになった。
木村はふと、Aがどんなふうに仕事をしているのか、自分の目で確かめたくなった。首から上だけが動くような状態で、しかも、菜箸をくわえてパソコンを操るというのだ。その姿を、ぜひ見てみたい。木村は、江東区にあるA宅を訪れた。
なかなかの好青年だった。優しげで人当たりもいい。少しお茶を囲んだあと、車いすのAは、母親のサポートでパソコンに向かった。菜箸をガーゼ越しにくわえさせてもらい、早速、作業の続きを始めた。
木村は驚いた。まず目を奪われたのは、パソコン操作のスピードだった。その速さたるや、健常者でもおよばないのではなかろうか、というほどなのだ。しかも、堅実な仕上がり。その仕事ぶりに、木村は大きな感動を覚えた。同時に、重度障害者のイメージまでもが一変する。
Aとの在宅ワークの試みは、大成功に終わった。在宅勤務のシミュレーションができたばかりか、木村に「これならできる」という確かな思いが生まれるのだった。そしてこの方法が、のちに、OKIネットワーカーズの作業システムの基礎となるのである。
OKIワークウェルで活躍するOKIネットワーカーズのメンバーを物語でご紹介します。