[2009年4月30日掲載]
“良き企業市民として真に豊かな社会の実現に向けて、考え、行動し、共感を得る社会貢献活動を実践する”
OKIはこの理念に基づき、社会貢献推進室を総務部に新設した。1996年のことである。その室長として、OKIの木村良二に白羽の矢が当たった。営業や生産管理部門で辣腕をふるってきたアイディアマン。新しい何かを追求するのに、もっとも相応しい人材であった。
しかし木村にとって、その辞令は青天の霹靂だった。〈フィランソロピーってフィロソフィーの間違いでは?〉〈ボランティアって物好きの集まり?〉 社会貢献に対する認識は、そのくらいのものだったのである。当時の経団連では、社会貢献の定義を「事業以外で貢献すること」としていた。いってみれば、大店(おおだな)の隠居が商売以外で町のために良いことをする、といった印象である。ビジネスと関係のない仕事などしたくはない。木村は、組織から阻害されたような感覚に襲われるのだった。
重たい心を引きずりつつ、木村は社会貢献推進室のドアを開けた。組織といっても、木村が抱えたスタッフは1人きりだった。机を囲むのはたったの2人。これまでやってきたところとは、まさに別世界であった。しかも木村は「しゃこたん」という言葉を耳にする。世の中の社会貢献担当の集まりの中では、社会貢献担当のことを、そう呼んでいるというのだ。〈積丹ならまだしも……〉 いっそ会社を辞めてしまおう、そんなことまでが心をよぎるのだった。
木村良二は1950年、茨城県の中央に位置する東茨城郡茨城町で生まれた。水戸に隣接し、汽水湖「涸沼(ひぬま)」を囲む、豊かな自然に恵まれた田舎町である。小幡北山埴輪製作遺跡、大戸の桜といった史跡が、国の指定文化財になっている。
木村は父親が高校の教員という家庭で、誕生日の同じ3歳違いの兄、そして7歳違いの妹と共に育った。ある時は、ガキ大将グループ間の調整役を務める。またある時は、水戸浪士が泊まった宿に残る刀傷に幕末のロマンを感じる。そんな子どもだった。兄が水戸の私立中学に入学すると、木村も猛勉強をしてそれに続いた。ライバル心からだったが、農業のできるほどの土地がない家庭状況から〈ここに安住してはいけない〉と考えたという。中学ではソフトボールの代表選手として活躍し、生徒会長としても信頼された。
その後、水戸第一高等学校から慶応義塾大学に進学した。世は激化する学生運動の時代。しかし木村は、どちらかというとノンポリティカルだった。キャンパスがたびたび閉鎖すると、仲間とバリケードの外に出てはマージャンに興じた。
木村が大学を卒業した1973年は、オイルショックの直前ではあったが、決して就職のやさしい時期ではなかった。5、6社の試験を受けたが、すべて不合格の憂き目をみることになった。そしていちばん最後に、OKIで合格となったのである。木村は満足だった。通信事業が安定する中で、コンピューターも手がけるOKIに将来性を感じていたのである。
まずは営業部門に配属され、入社2年目にして新製品の開発を担当する。それは、ある設計事務所の所長からの依頼だった。「札幌に個人向けエグゼクティブオフィスビルを建設する。エントランスに電気錠。受付はテレビ電話。各ルーム間もテレビ電話で通話できるようにしたい」 当時とすれば難題である。木村はOKIの設計者と外注とをコントロールし、半年ほどをかけてクロスバー交換機での開発をすすめた。この難しい注文をクリアできたことは、木村にとって最初の自信となった。
続いて工場部門に配転となり、製造部門へ材料と部品を供給する業務を任された。材料と部品に製品のどこに使うのかのラベルを貼り、台車で製造現場へ運ぶという地味な仕事である。営業でならした者にとって、それは幾らかつらい立場であった。ローテーションの一通過点だと、自分に言い聞かせていた。しかし、この生の現場経験が、その後、仕事をする上で大いに役に立つことになる。
その後、工場企画や購買部門を経験する。勤労係長となり1986年にシステム部門の蕨市への移転事業に携わった。札幌への赴任やシステム部門の総務部長を経て1996年、社会貢献推進室の室長を任されたのである。
〈入社から何年が経つのだろう……〉 木村は、首から提げた名札を手にし、自分の氏名を逆さまに見つめていた。思えば、自分はどの部門でも、難しい課題や不本意な状況を乗り越えてきた。順調というよりも、いつでもどこか逆境がつきまとう。そういう巡りあわせなのかもしれない。木村はふと、今の状況が、まさにそういうかたちであることを意識する。
〈今までだって、何とか勤めてきたんだ。だから、とにかくやってみよう。どうせやるなら、面白いことをしよう!〉 めきめきと意欲が湧いてくる。そして木村は、考え方を180度転換させる。自分のしたいことをしよう、と。新境地に一歩を踏み出す、その勇気を携えたのである。
OKIワークウェルで活躍するOKIネットワーカーズのメンバーを物語でご紹介します。