[2009年6月2日掲載]
OKIネットワーカーズの黎明期を担った、C氏。もともと、社会福祉法人東京コロニーのOBで組織するONE・STEP企画で、養護学校の教育用ソフトの開発などを手がけていた。その活動の中で、OKIが在宅雇用を考えていることを知る。頚椎損傷の障害をもつCにとって、それは願ってもないチャンスだった。身体的な不安から、ずっと在宅勤務を希望していたのである。
Cは東京コロニーの在宅講習で、本格的なパソコン技術を2年間学んでいる。第二種情報処理技術者の資格もとった。
〈この技術を活かして、社会に出て働きたい!〉
そう考えたCは、障害者を対象とする集団就職説明会に参加し、企業10数社の面接を受けた。しかし、受け入れてはもらえなかった。在宅勤務に取り組む企業は皆無だったのである。予想はしていたものの、Cはがっくりと肩を落とした。
Cは17歳のとき、交通事故に遭った。大きな事故だった。頚椎を損傷し、意識不明のままICU(集中治療室)に運び込まれた。数日後に意識が戻った。しかし、人工呼吸器をつけられていて声も出せない。手も足も、まったく動かない。
〈いったい、何が起こったんだ……〉
わけも分からず、しばらくは放心状態だった。何日かして人工呼吸器が外された。リハビリをすれば元の身体に戻れるだろう、という思いになった。ところが、あるとき、周囲の雰囲気から、現在の医学では元の身体には戻れないことを知る。生まれて初めて、絶望感というものを味わった。
それでも、高校だけは卒業しようと思った。もちろんハンディは大きい。車いすというだけでなく、両手の指は握りしめたままの状態なのだ。しかし、希望は叶った。両親や姉の支え、また学校側の理解、同級生たちの温かい協力がそこにあったのである。自分は一人じゃない、Cはそれを胸に刻みこむのだった。
高校は卒業できたものの、その先のことを考える余裕はまだなかった。ただぼんやりと、朝からつけっ放しのテレビをながめるだけの毎日。気がつけば、自由を奪われた自分だけが、独りそこにいる。
ある朝、Cは食事をとりながら、窓の外に目をやった。つがいのツバメが、せっせと飛び交っている。巣を作っているのだろうか。ふと、思った。
〈このままで、自分はいいのだろうか?〉
今の自分にできることはないか。Cはその日から、自分のこれからを思い描くようになる。
パソコンに目を向けたのは、その時だった。パソコンの通信教育を受けた。両手が不自由なので、パソコンの操作には難があった。しかし、作業療法士が一つの操作方法を教えてくれた。手に巻いた装具にとりつけた、先端にゴムのついた棒でキーボードを叩く。この訓練によって、キー入力が可能となったのである。本格的にパソコンを学びたい。Cに、大きな意欲が湧きあがった。
そんな折、主治医から興味深い話があった。
「在宅でパソコンを教えてくれるところがある」
東京コロニーのことだった。さっそく受講を申し込んだ。試験や面接に合格し、在宅講習生となった。その2年間で、Cは自分の進むべき道を確信したのである。そしてONE・STEP企画で腕を磨いていたCに、ある日、幸運が訪れる。
「Cさんですね。OKIの木村です」
東京コロニー・職能開発室の課長の紹介で、OKI社会貢献推進室長の木村が部下をしたがえて訪ねてきたのだ。やる気いっぱいのCを、木村はいっぺんに気に入ってしまった。ほどなく、OKIネットワーカーズ第1号として、A氏、B氏と共に、OKIへの入社が決まった。
念願の在宅勤務。しかし、最初のうちは大変だった。仕事を受けるほうも、出すほうも初めてづくし。試行錯誤を繰り返す毎日だったのである。まったく仕事がなく、プログラムの入門書を読むだけ、という業務が続いたこともあった。
現在はチーム・リーダーとして、業務をとりまとめる立場にいる。緻密な計画をもとに、ていねいに作業を積み上げていく。勤続十年の貫録である。継続は力なり。Cはそう断言する。そんな彼に、仕事を続けるための心がけを聞いてみた。
「いいかげんでは駄目ですけれども、あまり思い詰めて仕事に取り組まないほうがいいのかなと思います」
「仲間ありきのOKIネットワーカーズですからね。独りじゃないというのは、ほんと、心強いと思っています」